日本酒の三大酒どころ(灘・伏見・西条)の地図

日本酒の三大酒どころ

日本には、北から南まで1300以上の醸造所があります。その中でも良質な日本酒を生産する酒蔵が多く集まっている地域がいくつかあります。京都府の伏見、兵庫県の灘、広島県の西条は、「三大酒どころ」と呼ばれています。(諸説あり)

地域の説明と良質な日本酒の産地になった理由をご紹介します。

三大酒どころの位置を示す日本地図(伏見・灘・西条)

京都府の伏見

京都・伏見の酒蔵街

京都・伏見の大型酒蔵と煙突 京都に日本の首都機能がおかれた時代が長かったこともあり、最大の消費地としての歴史も長いものでした。そのため京都の歴史は酒の歴史でもあります。特に「伏見」には1万石以上の大きな酒蔵が集まっています。京都市の南の玄関口「伏見」は、桂川、鴨川、宇治川の3つの川に沿った平野部と桃山丘陵を 南端とする東山連峰の山並みから構成されています。

「伏見」の歴史は古く、『日本書記』には「山城国俯見村」として記されています。平安時代には、「造酒司(さけのつかさ)」という酒造を担当する役目が宮中におかれました。鎌倉時代には、酒を造って売る酒屋(造り酒屋)という形式がはじまりました。貴族が飲むためだった酒も、室町時代には庶民も楽しむようになりました。伏見は、軟水から中硬水の仕込み水を使用しているため、口当たりが柔らかく、「灘の男酒」と比較して「伏見の女酒」と呼ばれています。

京都最古の神社・松尾大社は、室町時代後期から「日本第一酒造神」として信仰を集めています。酒づくりが始まる前になると、全国の酒蔵が「今年も安全にいい酒がつくれますように」と願い、お参りします。これはただ願いを叶えて欲しい、というものではなく、大地からの恩恵である米を使い、神に捧げる日本酒を製造する者としての決意を改めて誓うおごそかな儀式です。それを理解しながら、伏見にある酒蔵や博物館、記念館とあわせて訪れて欲しい場所のひとつです。

<黄桜、月桂冠、宝酒造、玉乃光、増田德兵衞商店、松本酒造など>

兵庫県の灘

灘の酒蔵屋上から望む六甲山と神戸市街

灘・白鶴酒造資料館 兵庫県は日本一の清酒生産量を誇ります。その製造量を担うほとんどの酒蔵が、灘に集中しています。灘というのは現在の地名を指すものではなく、かつての西郷(にしごう)、御影郷(みかげごう)、魚崎郷(うおざきごう)、西宮郷(にしのみやごう)、今津郷(いまづごう)の5つの地域からなる灘五郷を指します。

江戸時代初期から中期に、灘五郷の造り酒屋が続々と創業されました。

南側に六甲山がそびえ、湧き出る伏流水「宮水」はミネラル分が多く酒づくりに適した水質。発酵が旺盛になることで生まれる淡麗な味わいは「灘の男酒」と評判になりました。さらに六甲山からの急流を生かし水車式精米が発達し、大量に精米できるようになり、きれいな酒をつくれるようになりました。兵庫県北部から出稼ぎに来る研究熱心な「丹波杜氏」や、山田錦の祖先である山田穂など良質な「播州米」の存在も灘の日本酒を発展させました。

一大消費地・江戸への海上輸送の利便性が高かったことも発展の理由です。「(たる)廻船(かいせん)」という日本酒運搬専用船で伊丹、池田、灘などから江戸まで運航されました。上方(かみがた)から下ってくる酒=「下り酒(くだりさけ)」と呼ばれ、江戸で爆発的なブームとなり、それ以外の「下って来ない酒」は、あまり美味しくないつまらないものだ、とまで言われるようになり、現在の「くだらない」という言葉の語源にもなりました。

伏見の女酒に対して、「灘の男酒」と呼ばれています。日本醸造協会で管理するきょうかい酵母の1号は、灘にある櫻正宗の蔵から採取したものだといわれています。

灘五郷や西宮には、昔の酒造道具や写真が展示される記念館がいくつもあります。国内外の多くの人に訪れてもらいたいです。

<白鶴、大関、沢の鶴、剣菱酒造、菊正宗酒造、白鷹、日本盛など>

広島県の西条

広島・西条の白壁の酒蔵

夜の西条酒蔵街とライトアップされた赤レンガの煙突

明治時代以降、日本酒醸造の近代史を語る上でかかせないのが広島県の西条です。そのきっかけとなったのが、醸造家・三浦仙三郎の存在です。日本酒造りの大敵である「火落ち菌」がタンク内で増殖して、酒が白濁したり、異臭を放って飲めなくなってしまう腐造(ふぞう)が地域で相次いでいました。そこでいち醸造家の三浦仙三郎は、灘への修業と、各地の有識者への聞き込み、研究を続け、広島の軟水でも健全に酒づくりができる麹造り、低温長期もろみによる醸造法を確立しました。第一回全国清酒品評会(全国新酒鑑評会の前身)で1位を獲得、さらに上位を独占しました。まったく無名だった広島の酒蔵が、一躍有名に。広島県内はもちろん、他県からも醸造法を教えて欲しいという声が殺到しました。

明治後期には、東広島の佐竹製作所(現在の株式会社サタケ)が動力式精米機を開発しました。

「広島の吟醸づくり」の誕生です。

今の西条には7つの蔵元が、徒歩圏内に並んでいます。白壁の酒蔵、赤レンガの煙突、なまこ壁、西条格子など、昔ながらの風情を留める街並みはまるでタイムスリップしたよう。観光で各酒蔵を回ることができるので、多くの人に訪れてもらいたいです。

<賀茂鶴、亀齢、福美人、西条鶴、白牡丹、賀茂泉、山陽鶴>

まとめ

昔ながらの、「三大酒どころ」を紹介しました。以降、日本酒の近代史は各地で目覚ましい発展を遂げてきました。昭和の時代には、日本酒はつくればつくっただけ売れると言われた時代もあり、大型化を図った酒蔵もありました。しかし昭和48(1973)年の1,766,000klをピークに下降の一途をたどっています。現在では設備の大小にかかわらず、ひとつずつの工程を見直し、より繊細により厳格に管理して丁寧に醸造する、という流れが主流になっています。

この記事を書いてくれた日本酒人

関 友美さん

関 友美

日本の文化や伝統を世界に伝えるライター。日本酒や和食、伝統文化をテーマにした執筆を得意とし、その文章は多くの読者に日本の魅力を伝えています。資格を活かし、日本酒や発酵食品に関する深い知識を持つ関さんは、その専門性を活かして様々なプロジェクトにも携わっています。審査員としての経験から、日本酒の品質や特徴を深く理解し、その魅力を的確に伝える力にも定評のある日本酒界屈指のライターさんです!

【保有資格】

・唎酒師、日本酒品質鑑定士(SSI認定)
・発酵食品ソムリエ
・シードルマスター(シードルマスター協会認定)

【審査員実績】

・MONACO SAKE AWARD 2024
・全国燗酒コンテスト 2024

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